嫌われる勇気の徹底解説⑪共同体感覚を掘り下げる◇他者貢献は続かないと意味が無い

    今日のテーマ

    長続きする他者貢献

    目次

    第五夜・共同体感覚を掘り下げる

    嫌われる勇気の解説も、いよいよ最終章・第五夜の内容に入っていくわ。

    やっとラストまできたな。
    で、第五夜はどんな話になるんだ?

    ひとことで表すならこれね。
    「幸せに生きるために必要なこと」

    人間の幸せについては前回までにも話したけど、今日からはもっと踏み込んだ内容になるのよ。

    幸せになる話なら興味あるんだぜ。
    難しくならないようにお願いするぜ。

    それは大丈夫よ。前回までの内容がわかっていれば問題ないわ。

    アドラー心理学の最終目標、共同体感覚の話を掘り下げつつ、 幸福な人生を歩む具体的な方法を伝えるわ。

    ‥‥共同体感覚か‥‥

    前回、前々回に教えてもらったが、アドラー心理学ではとても大事な話だったよな。

    「共同体の中に自分の居場所がある」という感覚。

    「わたしはここにいてもいいんだ」と思えるような感覚。

    そんな共同体感覚を得る為には、他人に貢献しないといけないんだったな。

    そうね。狭苦しい自分中心の世界から抜け出して、みんなと仲間になるには、他人に貢献しないといけない。

    今日はその大事な「貢献」について深掘りする回よ。

    他人に貢献することが、途中でイヤになってしまわないように。

    単なる「自己犠牲」で終わってしまわないように‥‥

    貢献といっしょにやるべき行動ってのがあって、それが自己受容・他者信頼の2つになるわ。

    自己受容?? 他者信頼??

    なるべくわかりやすく解説するわね。

    見返りを求めず他人に貢献する

    「共同体感覚」は3つの行動に支えられているわ。

    自己受容・他者信頼・他者貢献。

    ひとつでも欠けたら成立しない輪っかになっているの。

    ありのままの自分を受け入れる
    自己受容
    無条件に他人を信じる
    他者信頼
    見返りを求めず他人に貢献する
    他者貢献

    ふぅん‥‥ たしかこれまでに聞いた話では、共同体感覚を得るために必要なのは他人への貢献だったな。

    なんか急に増えたんだぜ。

    増えたというより「貢献」の解像度を上げた感じね。

    他人に貢献し続けるには、どうしても自己受容と他者信頼が欠かせないの。

    ?? 貢献の解像度??
    どういうことだ??

    つまり、自己受容と他者信頼ができてない状態で、他者貢献をしようと思っても続かないってことね。

    貢献するとは「役に立つ」という意味だけど、魔理沙は、他人の役に立とうと思ったら何が必要になると思う?

    んん?? アバウトな質問だな。
    ‥‥他人の役に立つ‥‥

    一番に思いつくのは時間かな。

    他人のために何かしようと思ったら、時間を割かないと何も出来ないぜ。

    あと、何かしらの労力も必要だな。
    物を運ぶのを手伝ったら筋力を使うし、勉強を教える時は頭を使う。

    自分の「時間や労力」を犠牲にしないと、他人の役に立つような行動はできないんじゃないかな。

    わたしもそう思うわ。

    貢献にはコストがかかるわね。魔理沙が言うように時間や労力だったりね。

    ここで考えないといけないのは「見返り」の問題よ。

    魔理沙が自分の時間や労力を割いて、他人の役に立つ行為をした時に、ノーリアクションだったらどう思う?

    ‥‥??
    たとえば作業を手伝ったり、勉強を教えたりした時だよな。

    ノーリアクションだったら‥‥
    なんかちょっと腹が立つかもな。

    「ありがとう」の一言くらい、あってもいいと思うぜ。

    普通はそう思うわよね。
    でもアドラー心理学の「他者貢献」は、見返りを求めてはいけないのよ。

    相手がどんな反応をしたとしても、たとえ反応が無かったとしても、そんなことを気にしちゃいけないの。

    はーぁ??
    そんなのどこの仏様だよ。
    100%自己犠牲じゃないか?

    そうよね。
    見返りのない他者貢献なんて、ただの自己犠牲じゃないかって思うわよね。

    そこが「見返り」の問題点なのよ。

    共同体の中にはいろんな人がいるわ。

    してもらったことに対して、律儀にお返しする人ばかりじゃないでしょう。

    しかも共同体には、誰にも気づかれないような、他人から見えにくい貢献が必要な場合だってあるわ。

    今の魔理沙が共同体に貢献しようとしても、途中でバカバカしく思っちゃうかもしれないわね。

    それはわたしに限らずだと思うが‥‥
    まぁそうだろうな。

    誰からも反応が無くても貢献したり、誰にも気づかれない貢献をしたり‥‥

    そんなのを続けるのは、わたしには難しそうだぜ。

    じゃあどんな相手だったら、見返りがなくても貢献しようと思える?

    反応がなくても気にならない。
    貢献を自己犠牲だと感じない。


    そんな相手っているかしら?

    ‥‥そうだな‥‥ いるとしたら‥‥
    親友とか、家族かな?

    ホントに仲のいい友達とか、子どもや親が相手だったら、そんな感謝の言葉なんて逆に水くさく感じるぜ。

    わたしが家事を手伝うのは母親が大変だと思うからで、感謝されたいからじゃない。

    そうでしょうね。もし、そんな相手ばかりがいる共同体があったら、魔理沙も貢献し続けられるんじゃない?

    まぁ‥‥ そりゃそうだろうが‥‥
    そんなの難しいだろ?

    家族や親友みたいに、大切な「仲間」のように思える‥‥

    そんな人ばっかりが集まる共同体なんてあり得るのか?

    それは魔理沙の考え方しだいね。

    自己受容と他者信頼ができれば、共同体のみんなを仲間だと思えるようになるわよ。

    無条件に他人を信じる

    わたしの考え方しだいで仲間だと思えるようになる? どういうことだ?

    魔理沙が他人のことをどう考えるかで、他人が仲間になったり敵になったりするってことね。

    ありのままの自分を受け入れて、無条件に他人を信頼できれば、他人のことを仲間だと思えるようになるわ。

    ‥‥イマイチよくわからんな……
    もっと具体的に教えてくれよ。

    じゃあ他者信頼から解説するわね。

    他人を仲間だと思うためには、他人を信頼しないといけないって話よ。

    本の中では「信頼と信用の違い」が語られるわね。

    無条件に他人を信じるのが信頼。条件付きで信じるのが信用ってね。

    他者信頼は無条件の方よ。

    「無条件で他人を信じる」なんてこと出来るのか?

    誰にでもお金を貸してたら、返さない人も出てくるはずだぜ。

    そうね。
    信じたら裏切られるかもしれない。

    だから多くの人は、条件付きでしか他人を信じようとしないわね。

    たとえばクレジットカードの会社だったら、職業や過去の返済履歴などから情報を得て、この人は返すだろうと判断してカードを発行する。

    ネットで買い物をする時だって、無条件にショップを信じたら変な商品が届くから、レビューをチェックして買うかどうかを判断する。

    そうだぜ、なんでもかんでも信じてたら痛い目に合うんだぜ。

    そう、その通りよ。でもね、今考えるべきは「対人関係」の問題なの。

    会社と顧客の間の話じゃないのよ。

    ‥‥じゃあ、宿題をさぼりそうな子どもを信じて、自主性に任せるのか?

    怠けそうな人でも信じて、大事な仕事を任せるのか?

    そう、それが他者信頼よ。

    裏切られたらどうしたらいいんだよ?

    その時は普通に悲しみましょう。
    信じて裏切られたら悲しくて当然ね。
    だから悲しめばいい。

    そんなのイヤなんだぜ。
    私は裏切られて悲しくなるのがイヤだから疑うんだ。

    その気持ちはわかるんだけどね‥‥
    疑ってたら仲間にはなれないのよ。

    この人は信じても裏切るんじゃないかって疑ってたら、その人に貢献しようなんて気持ちが生まれるわけないわ。

    仲間になるには疑ってちゃいけない。
    信頼しないといけない。

    そんなの無理だぜ。裏切られるかもしれないと思ったら疑っちゃうぜ。

    親密な関係には痛みがともなうのよ。

    恋愛で考えてみて。
    相手が好きであれば好きであるほど、フラれた時の痛みは大きくなる。

    痛みを恐れてたら、いつまで経っても近づけないわ。

    それと同じで、他人との間に親密な関係を築こうと思えば、どうしても裏切られた時の痛みは大きくなる。

    痛みを恐れれば浅い関係しか築けない。

    恐怖を乗り越えて、深い関係を築かないといけないのよ。

    言いたいことはわかるが‥‥

    ‥‥裏切られることへの恐怖を、乗り越える勇気はどこから生まれるんだ?

    勇気を得る方法は前回に話したわね。

    自分の「価値」を実感できた時にだけ、ひとは勇気を得られる。

    そして、自分の価値を実感するためには、他人に貢献しないといけない。

    ‥‥それで、他人に貢献し続けるには、他者信頼が必要なんだろ?

    他者信頼をするには勇気が必要。
    勇気を得るには他者貢献が必要。
    他者貢献には他者信頼が必要‥‥??

    おい霊夢、堂々巡りだぞ。
    どれから手を付ければいいんだよ?

    そこがややこしいポイントなのよね。
    共同体感覚は3つとも繋がってるから、どれが先ってのは無いのよ。

    受容・信頼・貢献。
    3つまとめて頑張らないといけない。

    でも強いて言うなら、自分だけで実行できる「自己受容」が、入り口としてはオススメかしらね。

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    ありのままの自分を受け入れる

    自己受容か。他人に貢献し続けるには、必要な行動なんだな?

    そうね。
    自己受容と他者信頼ができれば、他人を仲間だと思えるようになるわ。

    ありのままの自分を受け入れる‥‥
    具体的にはどういう行動なんだ?

    自己受容は、テストの点数で考えるとわかりやすいと思うわ。

    過去にずっと80点以上だったとしても、今回のテストが50点だったら、
    50点が本当の自分だと認める。

    これが自己受容ね。 

    ずーっと80点以上だったんだろ?
    50点を取ったのはたまたまなんじゃないのか?

    そう考えるのは現実逃避の強がりね。

    過去の点数は関係ない。
    未来に取れそうな点数も関係ない。


    今、目の前にある50点の答案が現実であり、本当の自分の点数なのよ。

    素直に受け入れないといけないわ。

    ちょっと厳しすぎないか?
    「本当は80点なんだ!」って、強がって頑張った方が良いと思うぜ。

    それでは自分にも、他人にも嘘をつくことになるわね。

    「何点だった?」って友達から聞かれたらどう答えるの?

    ‥‥本当は80点だって思ってたら、50点だったとは言いづらいな‥‥

    点数を高く言っちゃうかもだぜ。

    自己受容は自己肯定とは違うの。

    なんでもポジティブに捉えようとして、自分はできるって暗示をかける、みたいな行動じゃないわ。

    現実をそのまま受け入れて、現在地をはっきり確認して、そこから再出発しようっていう行動なのよ。

    現在地を確認して再出発‥‥

    強がって50点を受け入れなかったら、嘘をついて生きることになるし、

    80点を取り返すまで「劣等感」が続いてしまう。

    自分や他人に嘘をつく
    80点にこだわり劣等感を持ち続ける


    これらの行為は、他人を「仲間」だと思うためには邪魔になるわ。

    下手に劣等感をこじらせれば、点数の高い人を妬んで、敵対しちゃう可能性すらあるからね。

    50点を素直に受け入れて、そこから再出発するべきなのよ。

    そうすれば次が60点や70点でも成長になるし、点数の高い人に張り合って、嘘つかなくても済むわ。

    なるほど‥‥ 悔しいけど、50点である自分を認めないと、対人関係に問題が発生しちゃうんだな。

    そう。
    現実から目を背けちゃいけないの。

    80点にこだわってしまうのは、他人の点数を意識するからよ。

    今まで自分より下だと思ってた人たちと、同じレベルまで落ちてしまう。

    同じレベルの人たちに負けてしまう。

    そんなふうに競争してるから、下がった点数を受け入れることができない。

    それは縦の関係ってやつだな。

    他人と競争して、上とか下とか気にする生き方。前回教えてもらったぜ。

    「競争」は敵を作るし、人間関係に安心できない。

    共同体のみんなと仲間になるには、対等に接しないといけないわ。

    縦じゃなく横の関係を築くんだよな。

    自己受容って、横の関係にも繋がってくるんだな。

    そう、その通りよ。自己受容は競争から抜け出す第一歩ね。

    他人から目を離して、自分の現在地に注目するんだからね。

    他人と競争せず、常に自分の現在地を見つめ直して、前を向いて再出発する
    「自己受容」

    裏切られることを恐れず、無条件に他人を信じようとする
    「他者信頼」

    これらができれば、他人を仲間だと思えるようになるわ。

    「共同体のみんなに貢献したい」と思えるようになる。

    相手が仲間だったら、貢献し続けても息切れしちゃったり、バカバカしく思ったりはしないはずよ。

    今日のまとめ
    すべては貢献感のために

    今日は「他人に貢献すること」を深掘りしたけど理解できた?

    ふむ。ちょっと内容が濃かったけど、ある程度は理解したつもりだぜ。

    とりあえず他人に貢献しようと思ったら、自己受容と他者信頼ができてないと続かないんだよな?

    そうね。他人のことを仲間だと思えなかったら、なかなか貢献する気になれないし、してもたぶん続かないわ。

    仲間だと思えるようになるには、自己受容他者信頼も欠かせないから、貢献といっしょにやろうって感じね。

    そうすれば「共同体感覚」も身についていくわ。

    他人と競争せず、常に自分の現在地を見つめ直して、前を向いて再出発する
    「自己受容」

    裏切られることを恐れず、無条件に他人を信じようとする
    「他者信頼」

    この2つができれば、他人を仲間だと思えるようになって、他者貢献を続けられるってわけだな。

    そういうことね。
    自己受容も他者信頼も、やろうと思ったら勇気が必要になるわ。

    そして勇気を得るには、他者貢献が必要になる。

    堂々巡りになっちゃうけど、受容・信頼・貢献はつながってるから、全部いっしょに少しずつやるしかないのよ。

    ふむ、この図のような輪っかを、ぐるぐる回ってればいいんだな。

    そうすればそのうち、共同体感覚が身に付いていく。

    共同体感覚を得ることができれば、人間の幸せに直結する「貢献感」も一緒に手に入るわ。

    アドラー心理学では、人間の幸せ=貢献感だったな。

    わたしは共同体の役に立っている
    他人のために出来ることがある


    こんなふうに思える感覚が貢献感だ。

    自己受容も、他者信頼も、他者貢献も、結局はこの貢献感に繋がってくるんだよな。

    他者貢献が一番、直接的に貢献感を得られるけど、今日はそれを持続可能にする話をしてくれたわけか。

    おっしゃる通りね。
    今日の話はすべて、貢献感を持続的に得ることに繋がっていくわ。

    自己受容も他者信頼も、一朝一夕でできる行動ではないんだけど、必ず幸せな人生に近づけるから頑張りましょう。

    今日の内容を補足する記事は沢山あるから、下のリンクから確認してね。

    次回は「普通であることの勇気」という話をする予定よ。

    なにか不祥事を起こした人が、ネット上で袋叩きに遭ったりするけど、そんな社会心理を解き明かす回になるわ。

    おお、それは興味深いな。
    手短にわかりやすく教えて欲しいぜ。

    次回に進む

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