嫌われる勇気の徹底解説⑫自分を好きになるために◇普通であることの勇気

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    今日のテーマ

    普通な自分を受け入れる

    目次

    第五夜・自己受容

    「普通であることの勇気」

    今日は第五夜の二回目として、このテーマを解説するわね。

    普通なんてイヤだ
    ・特別な存在になりたいんだ


    こんなふうに考えて、みんながみんな、特別な存在になりたがる問題点を伝えるわ。

    普通であることの勇気か‥‥

    あと、今日までに「人間の幸せ」についていろいろ話したんだけど、 一旦それを整理するわね。

    「人間の幸せ」「普通であること」
    この2つを絡めて考えると、とても大切なことがわかるのよ。

    ふむ。「普通」って聞くと、なんか幸せじゃない感じがするよな。

    むしろダメみたいな印象だぜ。

    そうでしょうね。
    そんなイメージのせいで、世の中にはいろんな悲劇が生まれてるわ。

    なにか不祥事を起こした人が、ネット上で個人情報までさらされて、再起不能なまでに叩かれる‥‥

    そんな「ネットリンチ」のような行為にも繋がる話よ。

    なるべくわかりやすく解説するわね。

    自分を好きになるために

    人間の幸せについて再確認するわね。

    アドラー心理学での「幸せ」ってのは、どうやって手に入れるんだっけ?

    ふふ、覚えてるぜ。
    人間の幸せってのは、他人に貢献することで得られるんだ。

    人間は常に、なにかしらの共同体の一員だ。家族や学校、職場とかな。

    その中で自分の「居場所」を見つけると、社会的な存在である人間は、幸せを感じるってわけだぜ。

    居場所を作るにはみんなの役に立たないといけない。

    だから他人に貢献する。

    他人の役に立って、居場所を感じて、幸せになるんだ。

    ちゃんと覚えててくれたのね。
    その通りだわ。

    アドラーは人間の幸せについて、とてもシンプルな答えを示してくれた。

    わたしは共同体にとって有益である
    わたしは誰かの役に立っている


    このような思いだけが、
    「自分には価値があるんだ」
    と実感させてくれる。

    そうだな。自分には価値があると思えるから、「ここにいてもいいんだ」とも思えるんだぜ。

    人間にとって最大の不幸とは、自分を好きになれないことよ。

    自分を好きになるために、他人に貢献して、自分の価値を実感しようってわけね。

    うむ。たしかに 「他人の役に立つ」 というのも、ひとつの人間の価値だと思うぜ。

    ここで考えて欲しいのは、今話したような「貢献」っていうのは、目に見える貢献じゃなくても良いってことよ。

    んん??
    目に見える貢献じゃなくてもいい??

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    ひとは今すぐ幸せになれる

    そう。たとえば魔理沙が共同体の為に行動した時、その行動が本当に役に立ったかどうか、判断するのは魔理沙じゃないわ。

    課題の分離で考えるなら、その判断は他人の課題であって、魔理沙が介入できる問題じゃない。

    本当に役に立てたのか?
    貢献できたのか?


    そんなことは確かめようがないの。

    ふむ‥‥ 考えてみればそうか‥‥

    みんなに聞いてまわるわけにもいかないし、聞いたって正直な答えが返ってくる保証は無い‥‥

    そうそう。
    本当に他人に貢献できたかどうかなんて、原理的にはわからないのよ。

    ‥‥それは勘違いでもいいのか?
    ホントに役に立ってるかどうかなんて関係ないんだろ?

    そう、勘違いでもいいわ。

    共同体に貢献したいと願い、行動して、「貢献できた」という実感が持てればそれでいい。

    それでいいというか、確認しようがないんだから、それしかないのよ。

    自分の主観で判断するしかないわ。

    ‥‥たとえ目に見える貢献でなくても、自分基準で「役に立てた」と思えればそれでいい‥‥

    そう、それが貢献感ね。

    幸せ=貢献感。アドラー心理学はここを目指して進んでいくわ。

    今日はここから、もう一歩踏み込んだ話をするわよ。

    前々回に、人間の価値はゼロから考えるって話をしたけど覚えてる?

    ああ、覚えてるぜ。
    「行為」じゃなくて「存在」のレベルで相手を見るんだよな。

    病人や老人や子ども。どうしても他人の世話が必要な人でも「存在してること」 それだけで価値がある。

    なにか役に立つことをしたか?

    そんな「行為」のレベルで、他人の価値をはかってはいけないわ。

    いないところから想像すれば、その人の 「存在」そのものに感謝できる。

    「いてくれてありがとう」と思える。

    うん、単純に考えればいいんだよな。
    ひとがいなくなったら孤独に近づく。
    孤独は寂しいってな。

    そうそう。「人間の価値」なんてたいそうな問題は、考え過ぎるとろくな答えに辿り着かないからね。

    ゼロから考えれば、ひとは、いてくれるだけで価値がある。

    こんな感じで、前々回は他人の価値を考えたけど、これは「自分の価値」にも当てはまる話よ。

    ?? 自分の価値にも当てはまる?

    存在するだけで価値があるのは、他人だけじゃない。自分もそうなのよ。

    共同体の役に立つ行為をしなくても、存在するだけで自分には価値がある。

    ‥‥行為をしなくても‥‥
     自分には価値がある‥‥

    だからね、人はみんな、今この瞬間から幸せになれちゃうのよ。

    「存在」レベルでの貢献感が得られたら、誰もが自分に価値を感じられて、それと同時に幸せになれちゃうの。

    そんなの都合よすぎる話だぜ。

    他人に貢献して貢献感を得ろって言っておいて、実は存在してるだけで貢献してるんだ、なんて‥‥

    ふふ、そうね。 何もしなくてもいいのかよ?って思っちゃうわよね。

    私は存在するだけで役に立っている

    こんなふうに思える感覚は、想像力を磨かないとなかなか得られないわ。

    貢献感を得て幸せになりたいと思うなら、とりあえずは、身近にある共同体に貢献すべきね。

    まぁそういうことだよな。
    自分から貢献しにいく方が直接的だから、貢献感も得やすいって話だ。

    ‥‥でもな、霊夢。

    「人間の価値」って、そんな単純なものなのかな?

    「他人の役に立ってる感」があればオーケーだ、なんて‥‥

    そんなことで満足してて、わたしの人生はホントに幸せだと言えるのか?

    特別な存在と
    その他大勢の人たち

    「他人の役に立つ」ってのが大事なのはわかったぜ。

    たしかに、人間は一人では生きていけないんだから、共同体の中に居場所があるのは幸せなことだ。

    他人の役に立って貢献感を強く持てたら、居心地のいい場所で、とても伸び伸びと生きていける気がするぜ。

    でもなんかスケールが小さくないか?

    一度きりの人生なんだから、もっと大きい目標を持つべきじゃないのか?

    たとえば、どんな目標かしら?

    世の中を変えてしまうような発明をしたり、たくさんの人の思想に影響を与える本を出したり、スポーツで凄い成績を上げて人々を元気にしたり‥‥

    そんな夢を持って、高い目標をクリアするのが素晴らしい人生だと思うぜ。

    魔理沙の言いたいことはわかるわ。

    そんな偉人級の活躍を考えたら、
    とりあえず他人の役に立てばオッケー
    みたいな生き方なんて、 ちっぽけで緩すぎると感じるでしょうね。

    「その他大勢の人」じゃなくて、
    「特別な存在」になりたいわよね。

    おう、その通りだぜ。
    そんな野心的な心は、アドラー心理学ではどう考えられてるんだ?

    人間の「向上心」については、これまでに何回か話したわね。

    「今より向上したい!」
    「理想の自分に近づきたい!」


    そんな欲求にのことを、アドラー心理学では「優越性の追求」と呼ぶわ。

    覚えてるぜ。人間が成長できるのは、その優越性の追求のおかげだったな。

    みんなが持ってる欲求なんだぜ。

    そうね。人間はみんな「向上したい」と願っている。

    だから「特別な存在」を目指すのは自然なことよ。

    でもね‥‥
    ちょっと考えたらわかるんだけど、特別な存在ってのは「希少」なのよ。

    数が少ないからこそ特別なの。

    そりゃそうだろうな。だから目指す価値があるんじゃないのか?

    なれる人はいいのよ。

    考えないといけないのは、特別な存在になれなかった、その他大勢の人たちがどうなっちゃうか、よ。

    「嫌われる勇気」の中では、問題行動に走る子供を例に説明してるわ。

    優越性の追求をするのは子供も同じ。
    だから多くの子供たちは、最初は
    「特別によくあろう」とする。

    親の言うことを聞いて、社会性をもった振る舞いをして、勉強やスポーツ、 習いごとなんかを頑張ろうとする。

    うん、子供はそうだと思うぜ。

    最初は「王道」を目指すわね。

    みんなが褒めてくれるような王道のジャンルで、特別な存在になることを目指すわ。

    勉強できる子、スポーツに秀でた子、モテる子、面白い子、リーダーシップを発揮する子、みたいにね。

    でもそれがうまくいかなかった場合、逆に「特別に悪くあろう」とするわ。

    特別に悪く‥‥??

    そう。王道がダメなら邪道に走る。

    特別によくあろうとすることも、特別に悪くあろうとすることも、最終的な目的は同じなのよ。

    他人からの注目を集めて「普通」の状態から抜け出して、「特別な存在」になるのが目的ね。

    ‥‥良いことで特別になれないから、悪いことで特別になろうとする‥‥ 

    そんな感じね。「特別に良い存在」になるのって、競争率が高いから、一定の努力が必要になるわ。

    努力しても「特別に良い存在」になれない場合‥‥、つまり「王道」に挫折した時、あくまで特別な存在にこだわってしまうと、進むべき道は「邪道」しか残されていないわね。

    努力を避けて、悪くてもいいから特別であろうとする。

    このような心理を、アドラー心理学では「安直な優越性の追求」と呼ぶわ。

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    普通であることの勇気

    安直な優越性の追求か‥‥
    手っ取り早く目立とうとするんだな。

    その通りね。悪いことは良いことより競争率が低いからね。

    たとえば奇声を上げて目立つことに、競争は要らないでしょうね。

    たしかにな。問題はそこなんだよな。
    「特別な良い存在」って、競争率が高すぎるんだぜ。

    すべての人が「特別によくある」ことはできないから、負けた人はみんな「特別に悪くある」しかなくなる‥‥

    そうね。 そこで必要になるのが、
    「普通であることの勇気」よ。

    「普通である自分」を受け入れる勇気があれば、そんな特別を目指す競争からは抜け出せるわ。

    ‥‥普通を受け入れる‥‥
    ‥‥わたしは普通の人間だ‥‥

    うーん‥‥
    普通だなんて、なんかイヤな気分だ。

    まぁそうでしょうね。
    その他大勢の人になっちゃうのを、拒絶したくなる気持ちはわかるわ。

    でも、特別な存在にこだわり続けるのもやっぱり問題よ。劣等感から抜け出せないからね。

    ??? なんだって? 劣等感?

    わたしは本当は特別なんだ
    こんな普通の自分は今だけの仮の姿だ


    こんなふうに強がって、普通である自分を受け入れずにいると、ずーっと特別な人への劣等感が続いてしまうわ。

    ネットリンチって知ってるかしら?

    ネット上に不適切な投稿をした人が、個人情報をさらされたり、再起不能なまでに誹謗中傷されたりする。

    あーよくあるよな。
    なんかバカなことをやってSNSに投稿したら、自宅まで調べられて、晒されたりしてるぜ。

    立ち入り禁止の場所に入ったり、サービスで置いてある調味料を舐めたり、バイト先で不潔な行為をしたり‥‥

    これらも「安直な優越性の追求」よ。

    正攻法では特別になれないから、悪いことで目立とうとする。

    SNSという簡単に目立てるツールが、安直な優越性の追求を助長してるわ。

    なるほど、なんであんなバカなことをするのか不思議だったが、悪いことで特別になろうとしてたんだな。

    諸悪の根源は特別な人への劣等感よ。
    バカなことをしちゃうのも、それを徹底的に叩こうとするのもね。

    叩く方も劣等感が原因なのか?

    そう。自分が普通であることに不満を持ってるから、すでに特別な人や、特別になろうとする人をこき下ろすの。

    スキャンダルや不祥事のような、有名人の見せる隙を執拗に攻撃して、

    特別な存在から、普通の存在へと引きずり下ろそうとする。

    普通の人が目立とうとしてたら、道徳や正義や公平感を持ち出して、徹底的に頭を押さえこむ。

    ‥‥特別な存在を目指すのは向上心の表れだけど、それにこだわり過ぎるのはよくないんだな‥‥

    ‥‥今、特別になれてない私は、どうしたらいいんだ?

    とにかく、普通である自分をいったん受け入れるのよ。

    普通である自分が仮の姿だと思わずに、素直に「その他大勢の人」であることを認めましょう。

    すごい人を目指すのは、それからでも遅くないわ。

    普通である自分を「現在地」として見つめ直す、いわゆる「自己受容」ってやつね。

    ああ、それ前回に聞いたな。
    「ありのままの自分を受け入れる」
    それが自己受容だって。

    そうそう。 その自己受容という行動は、
    「普通であることの勇気」を手に入れる為の、とっても大切な、最初の一歩なのよ。

    「ありのままの自分」
    つまり、特別になれない自分や、普通である自分。そういう自分を現在地として受け入れるのよ。

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    今日のまとめ

    今日は人間の幸せ普通であることについて解説したけどどうだった?

    そうだな‥‥
    幸せについては「貢献感」が大事だってことを再確認したぜ。

    主観的な自分だけの感覚でいいから、他人の役に立ってると思えたら、それでいいんだったな?

    そうね。本当に役に立てたのか?
    貢献できたのか?


    そんなことは確かめようがないのよ。

    だから、目に見える貢献でなくても、誰にも気づかれない貢献でもいいの。

    自分基準で「役に立てた」と思えたらそれでいい。

    それが「貢献感」だよな。

    幸せ=貢献感。アドラー心理学はここを目指して進んでいくんだ。

    その通りね。そして、もう一段階踏み込んだ話もしたわね。

    共同体の役に立つ行為をしなくても、存在しているだけで価値がある。

    そうだったな。

    なにか役に立つことをしたか?

    そんな「行為」のレベルで人間の価値をはかってはいけないぜ。

    いないところから想像すれば、そのひとの「存在」そのものに感謝できる。

    「いてくれてありがとう」と思える。

    存在レベルでの貢献感を得られたら、誰もが自分に価値を感じられて、それと同時に幸せになれる。

    なかなか難しい話だけどね。
    身近な共同体から貢献していって、貢献感と共同体感覚を深めていくのよ。

    ふむ、そこで私は疑問に思ったんだ。
    他人の役に立ってる感覚だけで、本当に幸せって言えるのかな? ってな。

    もっとスケールの大きい目標を持つべきじゃないのか?

    もっと特別な存在になることを目指すべきじゃないのか?

    人間は「優越性の追求」という向上心を持ってるから、特別な存在を目指すのは自然なことね。

    でも「特別」というのは、数が少ないからこそ価値があるの。

    だからほとんどの人は、特別な存在にはなれない。

    その他大勢の「普通」の人にしかなれない。

    「普通であることの勇気」を持たないと、特別になれない自分に幻滅し続けることになるわ。

    特別な人への劣等感を持ち続けて、いろんな問題が発生してくるんだよな。

    悪いことで特別な存在を目指す、
    「安直な優越性の追求」 に手を出して、迷惑な問題行動を起こす。

    サービスで置いてある調味料を舐めたり、バイト先で不潔な行為をしたりするのは「安直な優越性の追求」だ。

    そうね。王道では特別になれなくて、邪道を選んでしまう感じね。

    ネットリンチにも関係してくる話よ。

    自分が普通であることに不満を持ってるから、すでに特別な人や、特別になろうとする人をこき下ろすの。

    スキャンダルのような、有名人の見せる隙を攻撃して、特別な存在から普通の存在へと引きずり下ろす。

    普通の人が目立とうとしてたら、道徳や正義や公平感を持ち出して、徹底的に頭を押さえこむ。

    特別な存在を目指すのは向上心の表れだが、それにこだわり過ぎるのはよくない。

    今、特別な存在になれていない私は、普通である自分をいったん受け入れるべきだ。

    普通である自分が仮の姿だと強がらずに、素直に「その他大勢の人」であることを認める。

    アドラー心理学で「自己受容」と呼ばれる行動だ。

    そう、ありのままの自分を受け入れる自己受容は、普通であることの勇気を得る、最初の一歩よ。

    すごい人を目指すのはそれからよ。

    「普通である自分」を現在地として再出発しましょう。

    そうすれば、特別な人を意識し過ぎることは無くなるわ。

    今日のまとめはそんな感じだな。

    貢献感の大切さと、 みんながみんな特別であろうとする問題点は理解できたんだぜ。

    自己受容ってすごく大事なんだな。

    難しいけどね、とても重要な行動よ。

    忘れてるところがあったら、前回くわしく話したから思い出しておいてね。

    嫌われる勇気の解説も、いよいよ次が最終回よ。

    幸せに生きるために必要な、一番大事な話で締め括るわ。

    ほう、今日もそんな話だったと思うが、まだ先があるんだな。

    うん。何を大切に思って、毎日を生きるべきなのか、わかりやすく解説するから忘れずに聞きに来てね。

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