他人に共感する
人生を想像する【共感】
今日は解説の第三回ね。
前回は他人を尊敬する話をしたけど、今日はその続きとして「共感」という大切な行動を解説するわね。
共感か‥‥
ありふれた行動に思えるけどな。
ちゃんとやろうとすると難しい‥‥
おっしゃる通りね。他人の気持ちが
「なんとなくわかるー」みたいなのは、同調であって共感ではないわ。
他人の頭や心の中なんて、原理的にはわからない。
でも、他人と良い関係を築くためには、わからないなりに理解しないといけないの。
ふむ、それが「共感」なんだな。
わからないなりに、なんとか他人を理解しようとする行動‥‥‥
そう、共感は他人に寄り添うときの技術・テクニックよ。
技術やテクニックなら、身につけようと思えば魔理沙にも出来るはずよ。
なるべくわかりやすく解説するわね。
正しさは人それぞれ
共感を一言で表すとこうなるわ。
「立場を入れ替えて想像する」
‥‥??
それだけだとよくわからないな。
ちょっと抽象的な説明になるけど我慢してね。
後でわかりやすく言い直すからね。
私たちはみんな、自分が「正しい」と思って生きているわ。
なにか「悪いこと」をした人だって、なにかしらの理由を主張するだろうし、本人としては「仕方なかった」という思いがあるはずよ。
まぁそうだろうな。
確信犯は別として、犯罪者にだってなにかしらの言い分があるはずだぜ。
宿題をしてこなかった生徒にも、親との約束を破った子供にも、仕事に失敗した新入社員にも‥‥
どんな人の、どんな行動にも言い分は存在するわ。
みんな自分なりの「正しさ」を持って生きている。
まぁわかるぜ。価値観や生き方はひとそれぞれだ。
前回教えてもらった尊敬は、その正しさを大事にするって話だったぜ。
他人の「その人らしさ」を大事にする、態度や心構えが尊敬だったわね。
価値観や生き方。
何を正しいと思うのか?
そんな「その人らしさ」を大事に考えて、他人の人生を尊重しないと良い関係は築けないわ。
ふむ。他人がどう思うかは他人の課題だからな。
ここで問題となるのは、自分とは違う正しさを持った相手との接し方ね。
持ってる正しさが似てるなら問題ないけど、違っていたり、 全く逆だったりした場合は接し方が難しくなるわ。
この前、ラーメンの好みで友達と口論になったぜ。
私は「A」というラーメンが好きなんだが、友達は「A」なんてラーメンじゃないって言うんだ。
ふふ。「ラーメンの好み」の正しさで衝突したのね。
その場合は、自分の持ってる正しさを、一旦手放す必要があるわね。
そうしないと。相手の持つ正しさには、いつまで経っても近づけないわ。
‥‥そういうことになるんだろうな。
「自分の方が正しい」なんて思ってたら、相手の正しさと衝突しちゃうぜ。
どんなラーメンを好むのが「正しい」のか?
そんなのは友達が勝手に決めることだし、魔理沙の思う「正しい」好みとは違ってて当然よ。
自分の正しさを手放して、相手の正しさを理解しようとする。
この時に使われるのが「共感」というテクニックね。
立場を入れ替えて想像する
共感とは想像すること
いまいちよくわからないな‥‥
正しさを手放す‥‥
「自分の方が正しい」と思わないようにするって事か?
そうそう。自分の正しさを守るんじゃなくて、相手の正しさを受け入れないといけないのよ。
‥‥相手の正しさを受け入れる‥‥
その為に、自分と相手の立場を入れ替えて想像する。
アドラーの言葉を借りるわね。
他者の目で見て
他者の耳で聞いて
他者の心で感じること
なるほど。「立場を入れ替える」とはそういうことか。
自分が相手と同じ立場だったら、
どう見える?
どう聞こえる?
どう感じる?
これらを想像してみるのよ。
アドラーはこのようにも言ってるわ。
もしもわたしがこの人と、
同じ種類の心と人生を持っていたら?
と考えてみる。
ふむ‥‥
相手と同じ種類の、心と人生‥‥
わたしの心も、わたしの人生も、相手のものと入れ替えてしまったら、わたしは相手と同じように行動するんじゃないのか?
そんな想像をしてみるのが大事ってことね。
答えはわからないわ。
他人の心と人生を、完全に自分にインストールするなんて出来やしない。
他人の気持ちは、原理的には理解できない。
まぁそうだよな。
他人の気持ちは他人の課題なんだぜ。
でも相手の「正しさ」には近づかないといけないの。
相手はどのようにして、
その「正しさ」を持ったのか?
この問題を無視してしまうと、自分の方が正しいという思い込みに陥ってしまうわ。
例えば、まったく勉強しない生徒がいたとするわね。
「なぜ勉強しないんだ」 と問いただすのは、その子の「正しさ」を無視した行為よ。
そうではなくて、まずは想像しないといけない。
もし自分が、その子と同じ心を持ち、同じ人生を持っていたらどうするか?
自分がその子と同じ年齢だとして、同じ家庭で暮らし、 同じ仲間に囲まれて、同じ興味や関心を持っていたら‥‥と考える。
そうすれば、なぜ勉強を拒むのか想像できるはずよ。
なるほどな。
それが「共感」なんだな。
まずは相手の立場を想像して、自分がその立場に立ったら‥‥と想像する。
「勉強する正しさ」を押しつける前に、まずはその子が持っている、
「勉強しない正しさ」に近づく努力をすべきなんだな。
その通りよ、魔理沙。
立場を入れ替えて想像すれば、自分とは違う正しさにも近づけるわ。
共感は対等な関係につながる
うん、わかるぜ。
立場が違えば行動も変わる。
自分が正しいと思う行動も、立場が変わればどうなるかわからない。
そこまで想像すれば「自分が正しい」という思い込みなんて、いかにも頼りないものだってわかるんだぜ。
私たちはみんな「違う」正しさを持っているわ。
その違いは、ただ「違う」だけであって、そこに優劣も正否も勝ち負けも無いのよ。
つまりは同じ価値ってことだな。
違うだけで同じ価値。
そう、相手が子どもでも、友達でも。
新入社員でも、社長でも同じね。
みんな自分と同じ価値の「正しさ」を持っているわ。
だから常に、人間関係は「対等」であるべきなのよ。
すべての他人を「対等」な相手として尊重するの。
ふむ、なんとなくわかってきたぞ。
共感は、苦手な相手に近づく手段であると同時に、すべての人と対等につきあう出発点でもあるんだな。
相手の立場に立ったつもりで想像すれば、相手の正しさにも十分な根拠があると思えるんだぜ。
そして、自分の正しさが絶対でないことがわかる。
どんなに間違ってると思える考え方や行動でも、その人にとってはそれが真実であり、正義であり、選んだ生き方なんだ。
その通りよ、魔理沙。
どっちが優れてるとか、どっちが正しいとか、そんなちっぽけな問題じゃないのよ。
すべてのひとの考え方や行動は、その人の「人生」に密接に関係してるんだからね。
相手の考え方や行動を否定するのは、相手の「人生」を否定するのと同じようなものなのよ。
そこまで考えないといけないんだな。
相手が子どもでも部下でも「人生」とまで考えればみんな対等なんだぜ。
相手の考え方や行動を、相手の人生の一部分として捉えるのが共感‥‥
‥‥そうなると‥‥
新たな疑問が生まれてくるな。
他人に共感しようと思ったら、その人の「人生」を知る必要があるんじゃないのか?
知らない人は想像できない
おっしゃる通りね。共感するには情報が必要になるわ。
またアドラーの言葉を引用するわね。
もしもわたしがこの人と、
同じ種類の心と人生を持っていたら?
と考えてみる。
「心と人生」を入れ替えて想像するんだから、まずは相手がどんな「心と人生」を持っているか、知ることから始めないといけないわ。
そういうことだよな。知らない人なんて想像しようがないぜ。
さっきの、勉強しない生徒の例でも色々あったわね。
その子の年齢とか家族構成。友人関係に、 本人の興味や関心ごとなど‥‥
その他いろいろな情報が必要だわ。
相手の人生を完全に知るのは無理だけど、少しでも多く知ってた方が共感しやすいはずよ。
‥‥まぁそりゃそうだろうが、 そんなに、いろいろ質問するのは現実的には難しいぜ。
第一、共感するのが難しいのは苦手な相手だろ?
仲もそんなに良くないだろうし、相手を知るのはハードルが高いんだぜ。
魔理沙がそう考えちゃうのは、相手に「関心」を寄せていないからよ。
距離をおいて、その人を眺めているだけではダメなの。
自らその人との関係に飛び込んでいかないとね。
関心を寄せる?
苦手な相手に関心なんて持てないぜ?
他者の関心事に関心を寄せる
他者への関心については本の中でも書かれているわ。
会社での対人関係でも、恋人との関係でも、あるいは国際関係においても、われわれはもっと「他者の関心事」に関心を寄せる必要があります。
「他者の関心事」に関心を寄せる‥‥
他人が好んでやってるのに、魔理沙は興味が持てないことってあるわよね?
そりゃあるぜ。
子どもが見てるテレビとかな。
あと、友達が熱中してるバスケも、趣味のゲームとかも興味ないかな。
そういうものに関心を寄せていこうってことよ。
関心がある、なしは関係なくて、相手を知る手段として「注目」するのよ。
なるほど。関心がなくてもとにかく注目せよと。
彼氏の趣味に付き合ってたら、そのうち自分の趣味になっちゃった、みたいな話はよく聞くでしょ?
そんな感じよ。
相手のことをたくさん知るのが難しかったら、まずは相手の「関心事」に注目しましょう。
それだけだったら難しくないはずよ。
そして、その関心事が、映画なら観てみる。ゲームならやってみる。ツールなら使ってみる。
相手と同じ「目と耳と心」を持っていたら楽しめるはずなのよ。
‥‥子どもが見てるテレビなんて楽しめるかな‥‥
楽しめるところまではいけなくても、まずは相手と同じ体験をしてみるの。
目と耳だけでも相手と同じものを持ってみるのよ。
「共感」は、知らなきゃ始まらない。
関心を寄せて、相手を知らないとスタートラインにも立てない。
そうだな。
知らない人は想像できない。
相手の「関心事」という手がかりがあるんだからね。
まずはそこに関心を寄せる。
注目する。
対人関係の源泉は「他者への関心」に他ならないわ。
関心が無いなら寄せるしかない。
注目するしかない。
他者への関心か‥‥
対人関係のすべては、そこから始まるんだな‥‥
今日のまとめ
今日はだいぶ内容が濃くなっちゃったわね。
他人に共感することの大切さと、具体的にどうするかは理解できた?
まぁなんとかな。
とりあえず、意見が合わないような人と、関係を深めるには「共感」しかないって思ったぜ。
そうね。意見が合わないというのは、自分と相手の、持ってる「正しさ」が違うということね。
私たちはみんな、自分が正しいと思って生きている。
持ってる「正しさ」が違う場合は、自分の正しさを手放さないと、相手の正しさには近づけない。
「自分の方が正しい」という思いを捨てるんだよな。
その為には相手に共感しないといけないんだぜ。
そう。共感とは、立場を入れ替えて想像すること。
他者の目で見て
他者の耳で聞いて
他者の心で感じること
もしもわたしがこの人と、
同じ種類の心と人生を持っていたら?
と考えてみること。
うん。わたしの心も人生も、相手のものと入れ替えてしまったら、多分わたしは相手と同じ行動をするんだぜ。
相手の立場に立ったつもりで想像すれば、相手の「正しさ」にも十分な根拠があると思える。
そして、自分の正しさが絶対でないことがわかる。
「自分の方が正しい」なんて、一概に言い切れないことがわかる。
すべてのひとの考え方や行動は、その人の「人生」に密接に関係しているわ。
相手が誰であろうと、 その考え方や行動が、その人の「人生そのもの」だと尊重して、対等につきあうべきなの。
そうなると、共感に必要なのは、相手の人生を「知ること」だってわかってくるぜ。
その通りね。
知らない人は想像できないからね。
意見が違ったり、苦手な相手だったりしたら、多くを知るのは難しいかも知れない。
だからまずは、相手の「関心事」に注目するんだぜ。
他者の関心事に、関心を寄せるんだ。
対人関係のすべては「他者への関心」から始まる。
関心が無いなら寄せるしかない。
注目するしかない。
‥‥‥ ここまでが今日の内容だな。
「他者への関心」
たしかにこれが無かったら、自分だけの世界に閉じこもっちゃうんだぜ。
おっしゃる通りだわ。
自分だけの世界に閉じこもり、被害妄想を育て上げて、大きな犯罪を犯してしまう人は後を絶たないわね。
本の中には出てないけど、アドラーのこんな名言もあるわ。
他人のことに関心を持たない人間は、苦難の道を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかけることになる。
‥‥なるほど。
共感は大事だが、他者への関心は、もっと根本的な問題なんだな。
無かったら関係が進展しないからね。
愛の反対は「無関心」だって有名な言葉もあるわよ。
最後に今日の結論を伝えるわよ。
前回の結論に、今日の内容を追加したのがこれね。
課題の分離をした後は
他人を「尊敬」しつつ「共感」して
対人関係を深めていく。
ふむ、この大元には「他者への関心」があるってわけだな。
相手の関心事に関心を寄せて、得た情報をもとに共感していきましょう。
次回からは人生のタスクに挑む話をしていくから、忘れずに聞きに来てね。
次回に進む