対人関係のゴール
第四夜・共同体感覚
嫌われる勇気の解説も、いよいよ終盤の第四夜に入っていくわよ。
たしか第四夜じゃなかったか?
ずっとお預けになってた「勇気」を得るための話って。
そうね。
やっと勇気を語れる段階まで来たわ。
アドラー心理学を実践する上で、絶対不可欠なエネルギー源が勇気よ。
トラウマの克服、ライフスタイルの変更、人生のタスクへの挑戦‥‥
前向きに生きるには勇気が必要だわ。
共同体感覚ってやつが鍵になるとは聞いたが、具体的な話はまだなんだぜ。
「共同体感覚」はアドラー心理学の最終目標よ。
元気で充実してる時だけじゃなくて、命尽きる瞬間まで、幸せでいられる感覚ね。
そんなギリギリまで幸せだって?
ちょっと嘘くさいんだぜ。
嘘じゃないわよ。
だけど誤解されやすい話だから、二回に分けて慎重に解説するわね。
今回は「共同体感覚とは何か?」を解説して、次回はもう少し踏み込んで、勇気も絡めて話をするわ。
ふむ、まずはどんなものか教えてもらわないとな。わかりやすく頼むぜ。
対人関係のゴールは共同体感覚
前回は「対人関係の出発点」を解説したけど覚えてる?
覚えてるぜ。課題の分離だよな。
自分と他人の課題を切り離して、お互いに邪魔しないようにするってやつ。
そうそう。
他人が決めることは切り捨てて、自分が決められることに集中する。
例えば自分に対する気持ちだよな。
嫌いになったり好きになったりするのを、最終的に決めるのは他人だ。
嫌わないで! 好きになって!ってどんなに頼んでも、相手の気持ちは操作できない。
相手の気持ちは相手の課題。
相手の課題には手を出さない。
どう思われようが相手の自由。
そのように割り切って、自分と他人を切り離すのが課題の分離だったわね。
こんがらがった人間関係を、一旦バラバラに解体するのが課題の分離という行動よ。
でもバラバラにしちゃったら、他人との間に距離ができたままになるんじゃないか?
そう、課題の分離はあくまで出発点。
バラバラにしたあとは、ちゃんと組み立て直さないといけないわ。
その組み立て直す時の目標、つまり、対人関係のゴールが、共同体感覚ってわけね。
課題の分離をしたあとは、共同体感覚を得ることを目標に、他人との関係を組み立てていくのよ。
‥‥ふむ‥‥
まぁ流れはわかったが、結局、共同体感覚って何なんだ?
ひとことで表すならこんな感覚よ。
「共同体の中に自分の居場所がある」
自分が所属する共同体の中で、
「わたしはここにいてもいいんだ」って、自然に思えるのが共同体感覚ね。
共同体の中に居場所‥‥
ここにいてもいいんだ‥‥
例えばどんな共同体の話なんだ?
家庭や学校、職場みたいな共同体がわかりやすいわね。
同じような目的を持った人が集まれば、そこは共同体になるからね。
魔理沙は常に、それら共同体の一員として暮らしているわ。
家にいれば家庭、学校に行けばクラスや部活や生徒会、職場に行けば店舗とか会社とかね。
そうだな。ひとりでいたとしても、誰々の子供とか、どこどこの社員っていう立場はついて回るぜ。
ここで「共同体の規模」を考えてみてほしいわ。
大きいのも小さいのもあるけど、一番小さい共同体ってどんなのかわかる?
んん?? それは家庭かなぁ‥‥
それ以上小さいのってあるか?
「わたし」と「あなた」
この二人だけの関係が、一番小さい共同体になるわ。
わたしとあなたの二人だけ?
わたしはわかるけどあなたって誰だ?
それは、親でも友達でも恋人でも、誰でもいいのよ。
「わたし」以外に、共通の目的を持つ誰かが一人でも加わったら、そこは社会となり共同体となるわ。
わたしと魔理沙がランチに行く時だったら、「楽しく食事する」っていう共通の目的を持った、二人だけの共同体が出来上がるわね。
なるほど。そんな一時的な関係も、共同体と考えるんだな。
そう。一番大きいのはとりあえず置いといて、一番小さいのは二人だけの共同体よ。
共同体について考える時は、この二人だけから始めるとわかりやすいわ。
うん‥‥ いろんな共同体があるのはわかったが、その中に居場所を感じないとダメなんだろ?
どうしたら「居場所」って感じられるようになるんだ?
あなたは世界の中心ではない
居場所を感じるために必要なことは、本の中ではこう書かれているわ。
自己への執着から、
他者への関心に切り替える。
‥‥これはどう解釈したらいいんだ?
簡単に言えば、自己中心的な人間から脱却しろってことね。
なんでもかんでも、 自分の思い通りにならないと気が済まない人がいるけど、そういう人は自分が中心の世界を生きているわ。
ふむ、すぐ怒ったり拗ねたり、面倒くさい人っているんだぜ。
子どもの頃はそれでよかったのかも知れないわね。
周りの大人たちに世話をされて、王子様やお姫様のように甘やかされて、自分が中心の世界を生きられたかも知れない。
でも大人になった私たちは、そんな自己中心的な世界からは卒業しないといけない。
私たちは世界の中心じゃなくて、
共同体の一部 なのよ。
だから、自分が愛されることを求めるんじゃなくて、他人を愛することを覚えないといけないのね。
それが本に書かれた言葉の意味か。
自己への執着から、
他者への関心に切り替える。
その通り。愛されることしか知らない人間から、他人を愛せる人間にステップアップするのよ。
そうじゃないと共同体に居場所なんて作れないわ。
共同体はひとりじゃないもんな。
必ず他人が関係してくるんだから、ワガママな自己中人間からは脱却しとかないといけないぜ。
世界の中心でいられるのは
子どもの時だけ
こんな意識を持つ事から、共同体感覚が始まると言っても過言じゃないわ。
ふむ‥‥
なんとなくはわかったんだぜ。
だけど「他人を愛する」なんて、言葉はキレイだが曖昧すぎるぜ。
具体的に何をすればいいんだ?
人生のタスクを通じて
共同体に貢献する
愛については第六回で解説したわね。
「人生のタスク」の話ね。
覚えてるぜ。
幸せな人生を送るためには、逃げずに立ち向かわないといけない、3つの人生のタスクがあるんだったな。
そうね。仕事・交友・愛のタスク。
これらは、人生の中で立ち向かうべき課題たちよ。
仕事 ・ 交友 ・ 愛
それぞれの状況で、うまく対人関係を築きあげないといけないわ。
あー 今気付いたぞ。これらのタスクって、ぜんぶ共同体での話なんだな。
仕事のタスクは職場という共同体。
交友のタスクは友人との共同体。
愛のタスクは、家庭とか親子・恋人との共同体だな。
その通りよ魔理沙。
それぞれの共同体で、ちゃんと居場所を作るのが人生のタスクなのよ。
‥‥で、 居場所を作るには、他人を愛する必要があるんだろ?
そうね。「愛する」という言葉は色んな意味を持ってしまってるから、ここではわかりやすく「貢献する」に言い換えるわ。
共同体の中に居場所を感じる為には、他人に「貢献」しないといけない。
仕事は職場のみんなに貢献する。
交友は友人に貢献する。
愛は家族や恋人や子どもに貢献する。
貢献するとは役に立つという意味よ。
そうか。他人を愛するってのは、愛のタスクに限らないのか。
愛以外の、仕事・交友のタスクでも、他人に貢献するのが愛するってことなんだな。
アドラー心理学の愛を理解するには、嫌われる勇気の続編の、幸せになる勇気を参照する必要があるわ。
そっちの解説は後日やるから、ひとまず愛するとは貢献すること、と思っておいて。
ふうん、まぁわかったぜ。
「愛する」より「役に立つ」の方がイメージしやすいしな。
人生のタスクを通じて
共同体の役に立つ
これが居場所を感じる方法よ。
私は共同体のこの部分を担っている。
共同体の役に立っている。
だから私はここにいていいはずだ。
みたいな感じね。
なるほど。
役に立ててる実感があれば、自信満々で共同体にいられるんだぜ。
より大きな共同体の声を聴け
なぁ霊夢、ここまで解説してもらって悪いんだが、わたしはまだ疑問に思ってることがあるぜ。
予想はつくわよ。最終目標の割にはしょぼいって言いたいんでしょ?
おーよくわかったな。
共同体に貢献して居場所を感じる
たしかに良いことだとは思うが、本当にこんなんで、幸せな人生なんて送れるのか?
魔理沙が疑問に思うのは当然よ。まだ狭い共同体の話しかしてないからね。
わたしとあなた
家族、学校、職場‥‥
この辺りの共同体までイメージできたら、仕事・交友・愛のタスクも理解できるわ。
でも共同体感覚はそれだけじゃない。
真の共同体感覚とは、もっともっと広ーい範囲の話なのよ。
?? 真の共同体感覚?
時間としては現在だけじゃない。
過去も未来も含まれる。
相手は人間だけじゃない。
動植物も無生物も含まれる。
広さは国家や地球だけじゃない。
宇宙全体までも含まれる。
なんだそりゃ。
過去や未来? 宇宙全体?
どう捉えたらいいかわからないぜ?
ふふ、そうよね。
アドラー自身も「到達できない理想」って言ってたらしいからね。
解りにくかったら、この世の全てを一つのでっかい共同体だと考えてみて。
そして魔理沙は、そのとんでもなくでっかい共同体の、小さな小さな一つの部分に過ぎないの。
‥‥ちょっと想像してみたが、スケールが大き過ぎて何も感じられないぜ。
いきなりは無理よね。
じゃあこんな考え方はどうかしら?
みんなに生かされてるっていう話よ。
食べものや飲みもの。
着るものや住むところ。
移動手段やインターネット。
インフラ設備や医療施設。
魔理沙の生活に欠かせないもので、魔理沙が一から作ったものなんて一つも無いんじゃないかしら?
そうだな‥‥ 簡単な料理くらいは出来るけど、野菜も肉も調理器具も、わたしが作ったものじゃないな。
もし自分で野菜を作ったとしても、それには太陽、水、土、肥料なんかに頼らないといけないはずね。
牛や豚を飼育するにも、エサが必要になるし、その命を犠牲にしないとお肉は食べられない。
まぁそうだろうな。
今、魔理沙は生きているわね。
生きる為にはエネルギーが必要よ。
毎日 1500kcal は使うでしょうね。
水分を採らなかったら、魔理沙の命は一週間ももたないわ。
生きてるって状態は焚き火と同じね。
常に燃料を投下してないと、すぐに火は消えてしまう。
それと同じように、魔理沙は常に、何かに頼って生きている。
魔理沙以外の、たくさんの何かのおかげで、生きていられる。
細かく考えるとそうなんだろうな。
いろんなものに「生かされてる」って感覚は、なんとなくはわかるんだぜ。
そういう想像力を磨いていけば、アドラー心理学の最終目標に近づけるわ。
感謝の気持ちが自然と溢れてくる‥‥
命尽きる瞬間まで幸福を感じる‥‥
そんな人生を歩めるかもね。
まぁ、そうなのかもしれないが、物事には順番ってのがあると思うぜ。
私はまだ、狭い共同体での居場所も実感できてないんだ。
とりあえず目に見える共同体から手を付けていくぜ。
うん、それでいいと思うわ。
仕事・交友・愛のタスクを通じて、身近な共同体に貢献するだけでも、十分前向きな人生だわ。
覚えておいて欲しいのは、狭い共同体にこだわらずに「もっと広い共同体」も意識しようってことよ。
特定の共同体で、うまくいかなくったっていいのよ。
どうしても馴染めない共同体ってのはあるはずだからね。
そんな時は別の共同体に目を向ける。
もっと大きな共同体にアクセスする。
共同体を広く捉えられるようになれば、それまで感じていた問題が、ちっぽけなものに見えてくるはずよ。
今日のまとめ
今日は「共同体感覚」を解説したけどどうだった?
なんか壮大な話だったが、なぜ共同体感覚が最終目標になってるのかは、わかった気がするぜ。
この世のすべてのものに生かされてる
そんな感覚を持てたら、多分ずーっと、何があっても幸せな気分でいられるんだぜ。
でも、人生のタスクを通じて共同体に貢献すれば、そんな「理想」にも近づいていけるのよ。
そうなんだろうな。今日の話の流れはこんな感じだな。
まずは課題の分離をする。
そのあとは、共同体感覚を目指して、
対人関係を築き上げていく。
世界の中心じゃなくて、共同体の一部である自分を自覚する。
仕事・交友・愛。 それぞれの共同体で、他人に貢献し、居場所を作る。
共同体の中に居場所を感じられたら、それが共同体感覚。
より大きな共同体を意識して、共同体感覚を拡げていく‥‥
うん、そんな感じで、自分中心の世界から抜け出して、共同体が中心のライフスタイルに切り替えるのよ。
その為に必要なのは人生のタスクね。
それぞれの共同体に貢献して、居場所を作って、自分は共同体の一部なんだ という感覚を養う。
そしてそれを拡げていく。
過去や未来や、宇宙全体と繋がる感覚は、なかなか持てないかもしれないけど、常に何かに生かされてるって感覚は重要よ。
何でもあるのが当たり前。
生きてるのが当たり前。
そんなマヒしちゃった感覚を見直していきましょう。
そうだな。失ってからわかるような勘違い人生にはしたくないぜ。
自分がどんなものに生かされてるか、想像し出すとなかなか面白いわよ。
自分には関係ないって思ってたものに、繋がりを感じるのも共同体感覚。
アドラー心理学のすべてはここに収束していくわ。
次回はいよいよ「勇気」の登場ね。
今日話した内容と、勇気をからめて解説するわよ。
やっとだな。 前向きに生きるために必要な勇気が、どうしたら手に入るのか教えて欲しいぜ。
うん、なるべく簡潔に伝えるわね。
第四夜も次回で終了よ。
ラストも近いし、忘れてるところがあったら思い出しておいてね。
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