他人と競争する問題点
第二夜・競争
さぁ、今日も嫌われる勇気の第二夜を解説していくわね。
前回は劣等感について話したんだけど、今日はその続きで、他人と競争する問題点を伝えるわよ。
他人と競争する問題点‥‥
前回の劣等感の話も、そんな内容じゃなかったか?
他人と比べて、自分の方が劣ってるって感じるのが劣等感だったよな?
そうそう。「他人と比べる」
つまり、「他人と競争する」から劣等感は生まれるわ。
それとは別に、もう一つ、競争が生んでしまうものがあるのよ。
へぇ、なんだよそれ。
ズバリ「敵」ね。
他人と競争する意識からは、敵が生まれてしまうわ。
ここを掘り下げると色んな問題がわかるからね。詳しく解説するわよ。
人生は他者との競争ではない
他人と競争しちゃうと、劣等感と共に敵を生んでしまう。
劣等感の方は、うまく扱えば自分の成長につながるけど、敵を作ることにメリットは無いわね。
‥‥よくわからないな。
たしか前回の話では、優越性の追求をするから人間は成長できるんだって言ってたんだぜ。
優越性の追求ってのは、 要するに、他より優れてることを求めるんだろ?
どうしたって他人との競争になるぜ。
まぁ、そう感じちゃうわよね。
優越性の追求というのは、
「今より向上したい」
「理想の自分に近づきたい」
そんな欲求に従って努力することね。
それは競争じゃないのか?
他人に勝つことを目指して努力したら、それは競争になっちゃうわね。
でも優越性の追求はそうじゃなくて、いまの自分より、少しでも前に進もうとする態度なのよ。
他人との勝ち負けじゃなくて、
「自分の成長」に注目するの。
本の中ではこう書かれているわ。
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、理想の自分との比較から生まれるものである。
うーん‥‥ まぁ言いたいことはわかるんだがな‥‥
わたしは、敵を作ったっていいから、他人を意識した方が目標がハッキリするし、より頑張れると思うぜ。
勝てそうだったり、良い勝負ができるならそうかもしれないわね。
でも想像してみて。
例えば魔理沙が、いつもお姉ちゃんと比べられてるとするわ。
ずーっと負け続けていて、どんなに努力しても追いつけない。
何をやっても勝てないのに、 周りの大人たちは「お姉ちゃんを見習え」ってしつこく言ってくるの。
うっとおしいな、それ。
勝手に比べるなってんだ。
競争をけしかける大人たちにも問題はあるけど、魔理沙がそれに乗っかってしまって、お姉ちゃんと競争し続けた場合‥‥
お姉ちゃんの成功を、素直に喜ぶことが出来るかしら?
逆に、お姉ちゃんの失敗を、喜んでしまったりしないかしら?
・・・まぁ、負けが続けば心も荒むってもんだぜ。
他人との間の勝ちと負けってのは、シーソーのような関係よ。
どっちかが勝てばどっちかが負ける。
勝った方は優越感を得て、負けた方は劣等感を持つ。
いわば競争というのは、優越感と劣等感の取り合いなわけね。
一方的な勝負になってしまえば、優越感と劣等感のバランスは崩れるから、まぁ、いろんな感情が渦巻くわよね。
‥‥そうだろうな。
嫉妬したり、見下したり。
表には出さなくても心の中ではね。
複雑な気持ちが絡み合うはずよ。
それに、相手の成功が自分の劣等感に直結してくるんだから、常に相手の行動が気になっちゃうわね。
もし勝者の側に立てたとしても、いつ負かされるかわからないから、怯えながら生きることになる。
‥‥ふむ‥‥ たしかに、競争してるなら安心はできないな。
他人と競争する世界では、 他人との間に、そんなイヤな緊張感のある関係を築いてしまうわ。
他人の幸せが、自分の劣等感に直結してしまって、他人の幸せを、心の底から喜べない世界。
それが「他人と競争する世界」よ。
そうか。 わたしは競争の良い面ばかりを見てた気がするぜ。
次回の解説に出てくるんだけど、アドラー心理学で目指すのは、他人との間に仲間と呼べる関係を築くことなの。
人々はわたしの仲間だと実感できたら、世界の見え方は一変するからね。
協力し合い、 助け合う仲間という関係を目指すんだから、当然、競争という関係は捨てないといけないわ。
なるほど。競争なんてしてたら仲間になれないってことだな。
相手の幸せも素直に喜べない関係は、仲間ではない、と。
そういう事ね。競争なんてしなくても、人間は成長できるわ。
他人じゃなくて、理想の自分に向かって進んでいけばいいのよ。
権力争いから復讐へ
競争する生き方の、もうひとつの問題点は、なんでも勝ち負けに結び付けちゃうってことね。
本来なら勝ち負けで判断することじゃないのに、そこに勝負を持ちこんでしまうの。
?? 勝ち負けに結びつける?
どういうことだ?
たとえば「正しさ」の問題ね。
誰かと意見が対立した時に、どっちが正しいかって議論したりしない?
そりゃするぜ。わたしは言い負かされるのが大嫌いなんだ。
ふふ。「言い負かす」って言葉が、すでに競争の世界の言葉よね。
意見なんて人それぞれ違ってて当然なのに、意見の 違い を 優劣 と絡めて考えてしまう。
わたしの意見の方が優れている。
だからわたしの方が正しい。
だから相手は、わたしの意見を受け入れるべきだ。
・・・。
問題なのは相手も同じだってことよ。
相手も魔理沙と同じで、自分が正しいと思っているはずなの。
相手の意見を受け入れることを、まるで負けかのように感じてしまって、お互いに引くことができなくなる。
これが、いわゆる「権力争い」と呼ばれる状態よ。
意見が違うってだけでは済ませられず、そこに勝ち負けを結びつけて、相手を屈服させて、意見を変えさせようとする。
‥‥言い負かされるのが大嫌いなわたしは、やっぱり、競争の世界に生きてるってわけか‥‥
そうね。
意見が対立する場合、魔理沙の主張をきちんと伝えたのなら、そこから先どう考えるかは相手の自由よ。
相手の意見を変えてやろうと思うのなら、それは勝負の世界に持ち込んで勝とうとしてるわね。
生き方の軸に「競争」ってのがあると、なんでも勝ち負けで考えて、こだわっちゃうのよ。
じゃあ、もし一方的に権力争いを挑まれたらどうするんだ?
わたしは戦う気が無いのに、
なんでわからないんだ?
お前はバカか?
なんて言われても我慢するのか?
アドラー心理学では、常に行動の目的に注目するわ。
この場合の相手の目的は、魔理沙を屈服させることね。
魔理沙の考え方を変えさせて、それを勝利の証として、自分の力をアピールしようとしている。
ムカつくぜ、言い返してやろうぜ。
それでは、ただの言い争いにしかならないわね。
もし魔理沙が競争しない生き方をするなら、そんな権力争いに乗る必要はないわ。反応してはいけない。
何も言わずに立ち去るだけね。
それじゃあ負け犬じゃないか。
そんなのイヤなんだぜ。
競争しないのなら、そこに勝ち負けなんて存在しないのよ。
相手が勝手に勝負にしてるだけなの。
‥‥立ち去ることを「負け犬」と受け取っちゃうのも、競争で生きているからってことか‥‥
それに、言い返して勝ったとしても、その後には復讐の段階が待ってるわ。
負けた方は、魔理沙のせいで新たな劣等感を手に入れたんだからね。
競争には終わりがないの。
勝っても負けても良いことないわ。
今日のまとめ
今日は「競争」について掘り下げたけどどうだった?
負けず嫌いの魔理沙に、何かプラスは有ったかしら?
うん、そうだな。
いい勉強にはなったが、競争を捨てるのは難しい、とも思ったぜ。
ライフスタイルを変えるのは簡単ではないわね。
でも、他人と比べない成長のしかたはわかってもらえた?
おう、優越性の追求だよな
他人と比べるんじゃなくて、
理想の自分と比べる。
他人との勝ち負けじゃなくて、
自分の成長に注目する。
そうそう。
他人と競争してたら、いつまでも悪い劣等感に振り回されることになるわ。
競争は敵を生むし、他人の幸せを素直に喜べないから、仲間になるのも難しくなる。
なんでも勝ち負けに結び付けて、不毛な勝負を繰り返すことにもなるわ。
アドラー心理学では、競争する生き方はオススメしないんだな。
そうね。 競争してる暇があるなら、協力し合える仲間になれるように働きかけよう、って感じかしらね。
競争より協力か。
なんか前向きな感じだな。
アドラー心理学は常に前向きよ。
魔理沙も、少しずつ競争するクセから抜け出せるといいわね。
次回は第二夜のラストよ。
アドラー心理学が目指す「人物像」と、乗り越えないと幸せになれない
「人生のタスク」を紹介するわ。
幸せになれない、か。
なんか厳しい話なんだろうな。
まぁ多少はね。
人生において、逃げてはいけないことは、知って置いて損は無いはずよ。
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